メンタルが強くても我慢には限界がある
「今どきの若い奴は我慢ができない」
「どんな仕事でも最低3年は耐えるべきだ」
「必死に我慢して耐えた先に未来がある」
…
…。
世の中にはクソみたいなアドバイスが山のように積もっています。
時には「我慢」を美徳とする文化などと言われることも。
数あるストレスの対処法としても、「我慢」は最低の行為です。
歯向かう勇気もなければ、逃げる勇気もない者の愚かな行動といえます。
なぜならば「我慢」には限界が決まっているからです。
どれだけメンタルが強い人でも、確実に心が折れることは歴史的にも証明されています。
囚人の穴掘りとは
ソビエト連邦(現ロシア)では捕らえた捕虜に「穴掘り」という罰を課していました。
毎日朝から穴を掘らせ、夜になると自分で掘った穴を埋め戻すという拷問です。
穴の大きさは看守の気分次第で、穴には一切の活用方法がありません。
至ってシンプルな刑罰ですが、効果は絶大でした。
どんな肉体的負担にも耐える屈強な凶悪犯でも「穴掘り」には一週間で音を上げたといいます。
中には気が狂ってしまった人や、自害してしまった囚人もいたようです。
人間は「意味のない作業」の精神的ストレスに耐えられないのです。
苦労した先に何らかの成果があると信じてこそ、人は我慢することができます。
我慢しても報われない
それではなぜ「我慢」がこれほど社会的に要求されるのでしょうか。
「我慢」を2つの側面に分けて考えましょう。
まずは適度なストレスを自分に課すことでパフォーマンスを上げるという意味の「ポジティブな我慢」です。
「ポジティブな我慢」は誘惑を断って学業や仕事の成果を上げるために効果的な手段といえます。
一方、全く喜びや成長に繋がらない「ネガティブな我慢」があります。
「ネガティブな我慢」を続けると簡単に人間は壊れ、うつ病などの精神疾患に繋がります。
理不尽なパワハラ上司におびえるシチュエーションはまさに「ネガティブな我慢」です。
ポジティブな我慢と、ネガティブな我慢。
これらは要素としてまったく別物ですが、あいにく世の中はその区別が適当です。
ゆえに会社側が仕事上のストレスを「ポジティブな我慢」として必要なものだと考えていても、従業員から見ると「ネガティブな我慢」を強いられているという状況に陥ります。
「我慢は大事だ!」と強要する側は「ポジティブな我慢」のことを思い浮かべています。
押し付けられた側は自分から望んだパターンを除き「ネガティブな我慢」でしかありません。
こうした意思疎通のズレが、大きな人間関係の問題に発展します。
「ネガティブな我慢」はいくらやっても報われません。
意味がないとわかったら、自分が壊れる前に距離を置いたり逃げ出したりすることも大切です。
どんな屈強な凶悪犯でも、「意味のない我慢」には耐えられないのですから。